
2014年8月、長崎県大村市で計9つの班が映画撮影を行った「スナメリの詩プロジェクト」。僕は現地の高校生が監督をした「爆走高校生2」の制作に18日から25日までの一週間、参加した。何とも大変な一週間だったが、このたびプロジェクトの主催者、小口詩子先生からプロジェクトの思い出を書く機会を頂いたので、撮影その他、長崎での生活にまつわる思い出を記そうと思う。ほとんどが役に立たない、主観的な、くだらない思い出の記述になると思うが、なるべく正直に書くつもりである。まず、「爆走高校生2」のスタッフ、キャストを簡単に。
監督 伊東瑞輝 伊藤晶美
助監督 松本千晶
撮影 後藤理一郎
録音・メイキング 瀬川哲朗
ルポ 山田さり 畝見彩加
メイキング 武藤要
キャスト 野上鉄晃 二森英一 小川優稀奈
○初日・顔合わせ
8月18日、撮影担当の後藤君と僕は大村市の総合福祉センターに向かい、スナメリの詩プロジェクト参加者の方々と顔合わせをした。僕はプロジェクトの本番になるまで、自分の参加する高校生班はおろか、どの班のメンバーともお会いしたことがなかったので、参加者全員が集うこの日は期待と言おうか不安と言おうか、塾の夏期講習の初日だか何だかのような気分であった。
高校生監督というから、相当の映画大好き少年少女がやって来るのだと僕は勝手に思い込み、熱い映画論なんか語られたらどうしようなどとハラハラしていた。しかし福祉センターへ着いてみると、会場のホールにはいくつもの長机と椅子が並べられ、その一角にひょろりとした高校生が三人。挨拶をして彼らが名乗ったところによると、彼らこそ我らが高校生班の監督、伊東瑞輝君と伊藤晶美さん、そして主演の二森英一君であった。見たところ、三人ともマトモである。マトモ、というのは健全な、17、8歳らしい、高校生らしいということであるが、こう書くのは裏切られた僕の予想のためである。一日中、映画館のスクリーンだのテレビだの、四角い画面に釘付けになって、視力はすっかりガタガタになり、二言目には映画、エイガとぶつぶつ、ぶつぶつ呟いて、年一、月一、ひどいのになると週一で更新される「映画マイ・トップテン・リスト」だの、映画へのラブ・レターたる「マイ・映画評論」なんかをつけていて、更には自分でもビデオカメラで映画を作って、しまいには自分の捧げる愛情とは裏腹に、映画の方はちっとも自分を好いてくれないのだと気づき始めるシネフィル、そんないかれた人間ではないという意味での「マトモ」である。そんな人間がやって来ても困っただろうが、極端な僕の予想と危惧は外れ、監督二人はマトモな高校生であり、むしろ大人し過ぎるくらいの子たちであった。
高校生たちの傍らには、我らがムサビの同志、助監督の三年生、松本千晶君がいた。僕は松本君とも初対面であったが、プロジェクト始動の前、事務連絡のやりとりをしてみて抱いた松本君に対する印象は、「できた後輩だな」というものだった。実際、プロジェクトで一週間行動を共にしてみても、松本君は非常にできた奴であった。しかし幸か不幸か、彼の事務能力がすばらしすぎるために、またサポートの僕がポンコツであるために、松本君はありとあらゆる仕事を抱え込んでしまい、初対面の時点で心なしかやつれていた。
「おれもう助監やりたくないっすよー!」プロジェクトの間じゅう、僕と後藤君は松本君のこんな愚痴を何度も聞くことになったが、無理もないことである。何かの映画で、「愚痴は上司に言うもんだ」とか何とかいう台詞があったが、僕は先輩風吹かせるほど能力も意気地もないので、「うーむ、大変だねえ」などと阿呆のような応答ばかりしていた。一方、後藤君は面倒見のいい男なので、彼の口から出るのはためになるアドバイスといたわりであった。松本君も大いに救われただろう。彼は学校の課題、自分の作品の制作を後回しにして、八月いっぱいをスナメリの詩プロジェクトに捧げていた。ここでいいかげんな作品ができちゃあ、松本君もうかばれねえな。プロジェクトの中盤、本気の松本君を見るにつけ、無責任にも僕は思うようになったが、とにかく高校生班は松本助監督の努力で回っていたと言ってよい。
○山田さんとドラえもん
僕らムサビ男衆にとって、共立女子大の女ゴたちとの共同作業はスナメリの詩プロジェクトの目玉イベントであった。後藤君と僕は長崎入りする前から、どんな可愛い娘ちゃんが来るものかとわくわくしていたが、プロジェクト初日の前日、その思いはいよいよ高まって、後藤君は明日顔合わせをする「チームメイト」の共立女子大生、ルポ担当の山田さりさんについて思いを巡らし始めた。
高校生班の連絡用に設けられたラインのグループ「スナメリ高校生班」には、山田さんの投稿が二つ三つある。後藤君はそれを手がかりに、山田さんがどんな娘(こ)なのか分析を開始した。分析といっても人となりを探るそれではなく、彼が追求するのは外見である。
山田さんのラインアカウントを見てみると、プロフィール写真が一枚載っている。真四角の画面の左右に、女の娘が二人写っている。二人ともピースサインか何だかを指で形づくって、笑顔と共にこちらに投げかけている。さて、山田さんはどちらだろう。僕らの議論が始まった。右の娘だろう、いや左だ、どちらが右を、どちらが左を主張したのかは忘れたが、僕も後藤君も何の根拠もなく、甚だ勝手な意見を投げつけ合って、いやはや、今考えると何とも不毛で失礼千万な議論であった。
結局、僕らの議論は「明日会ってみりゃ分かるさ」という結論に達するしかなかったのだが、そのとき後藤君がもう一度プロフィール写真を眺めて、ひょっとしたらこいつじゃないかと言い出した。彼の指差すところを見てみると、そこには二人の女の娘の真ん中に立つ、ドラえもんの像の青い頭が写っている。なるほどな、ゲラゲラ笑いながら僕は言って、僕らの結論は修正され、「明日はドラえもんが来るのだ」ということになった。
そして八月一八日の顔合わせのとき。僕と後藤君は福祉センターのホールで、先述の高校生監督たちと会い、松本助監督と会った。程なくして高校生班のメンバーはホールの壇上にずらり並んで、プロジェクト参加者に自己紹介。僕は隅の方に突っ立って、横目で高校生班のメンバーをちらり。ドラえもんはいない。いたのはひょろりとした高校生たちとジャイアンみたいな後藤君、出木杉くんみたいな松本君。のび太くんみたいな僕はドラえもんを探したが、もちろんいる訳がない。最終的に僕が横目で見出した山田さんは当然ながら、例の写真に写っていた女の娘の一方であった。
○ヴェリー・グッドとヴェリー・バッド
スナメリの詩プロジェクトの期間中、後藤君と僕はレンタカーを借りていたので、高校生班の移動手段はその軽自動車とメイキング担当の武藤要さんの車、そして主演の野上鉄晃さんの車であった。僕もドライバーとしてレンタカーを運転したが、何しろ僕は運転が下手くそであるので、同乗された方々には多大な恐怖を与えたかもしれない。ただ、教習所のコースの曲がり角を曲がることすら危うかったヘボ・ドライバーは、スピードを出すことだけには慣れて、7、80キロで山道をぶっとばせるようになった。
そのような危険極まりない運転手にとって、助手席その他に座る同乗者の左右、後方確認は力強い味方である。僕は自分では千里眼のつもりなのだが、他の人に言わせると僕の後方確認は殺人的にいいかげんらしい。僕の運転の際には後藤君も松本君も四方に目を配って、発進、後退、車線変更、すべてに対応してくれた。
しかしその安全確認の合図たるや、異常そのものであった。例えば後退のとき。助手席の後藤君が、首ひねらせて後方を見る。僕は訊く。「ヴェリグですか?」ヴェリグ、とはヴェリー・グッド、オーライの謂いである。これは後藤君が言い出した。後藤君は答える。「ヴェリグヴェリグヴェリグ……」僕はアクセル踏んで、車をそろそろとバックさせる。後藤君の合図は続く。「ヴェリグヴェリグヴェリグヴェリグ……」しばらくそんな呪文がぶつぶつと車内に響き、車はゆっくりと後退していく。そのうち、車の尻が壁だの木だの崖っぷちだのにさしかかる。そのときに後藤君の「ヴェリグ」は個々の間隔を狭めて速く、不明瞭になり、かつ声量が増していく。そしていよいよ危険なところに車が達すると、彼はこう叫ぶのである。「ヴェリー・バーーーッド!」フロント・ガラスを震わせ、他人の鼓膜を破かんばかりの大声である。一瞬前のヴェリー・グッドが、ぐるり転じてヴェリー・バッドに。最高と最低は紙一重。そんな哲学をこじつけられなくもないが、後藤君の場合は、ただ騒ぎたいだけである。
松本君は初めて僕らの車に乗ったとき、こんな馬鹿騒ぎをする僕らに苦笑いしていたようだったが、彼もすぐ慣れて、「後ろヴェリグです」などと言うようになった。
○萱瀬の湯とエンスト
スナメリの詩プロジェクト参加者の入浴手段は、黒木の「子供の家」にある五右衛門風呂か、山をしばらく下ったところにある温泉「萱瀬の湯」であった。僕は文明人であるしアウトドアの趣味もないから、五右衛門風呂などというワイルドな入浴はとてもできるものではなかった。それは後藤君も同じだったので、僕らは断然、萱瀬の湯へ行く心づもりであった。
初日の夜、共立女子大の北村弥生先生(この日北村先生は青緑のシャツを着ていらしたので、後藤君は山田さんの代わりに北村先生を『ドラえもん』扱いしだした)が作ってくださったカレーライスを食べたあと、僕は煙草を吸ったりしてぐずぐずしていたが、そのとき後藤君が、ちょいと車で山を下ろうと言ってきた。なんでも後藤君、カンパチの刺身が食べたくなったらしく、大村の街でそれを買おうというのだ。文明人の僕も、山の上で風や虫の音ばかり聞いていると気が狂うのでそれを承諾し、僕らは車に乗り込んだ。
「子供の家」から大村の街までは、車で30分ほどかかる。街に至るまでの道は、急勾配とまばらな民家、街路灯の続く山道である。真っ暗なその道を、後藤君はヘッドライトをハイ・ビームにし、冷房の風量を最大にし、音楽をジャンジャカかけて下っていった。どんぶらこっこ、モモタローの桃。僕はそんなことを考えた。文明を求める桃が、アスファルトの川を流れて、都会に向かって下っていく。おじいさんに拾われる間もなく、おばあさんに割られる間もなく、サムライとして生まれる間もなく、自らその実をパカっと割って、都会の文明を詰め込んだなら、この桃は川を遡って、川上に戻って行く。遡りながら、坂登りながら、桃は自問する。おいちょっと待て、鬼ヶ島は?やっつけるべき鬼のことはどうする?映画と書いてオニと読む、鬼のことはどうなったんだ?軽薄な桃はすぐさま答える。鬼ヶ島はうっちゃっておけ!
やがてビルディングだのコンビニエンス・ストアだのチェーンの飯屋だの、「文明」が僕らの前に開けてきて、後藤君の表情も、来たるべきカンパチの味を予覚してか、心なしか緩んできた。そんなとき、後藤君の携帯電話に着信が一本。松本君からである。後藤君、ピリッと真顔になって、コンビニエンス・ストアに車を停め、電話応答。
「後藤さんと瀬川さん、いまどこにいます?」松本君がそんなようなことを訊ねるのが聞こえた。まずいぞ、これは。聞くところによると、そろそろ萱瀬の湯に向かう時間になったのだが、僕らの姿が見えないので、探しているとのことだった。
結局後藤君と僕は、僕らの「文明の桃」は、何も詰め込むことなく街から山の上に引き返した。おまけに「子供の家」に着いた僕らを待っていたのは、萱瀬の湯に向かうというスタッフが十名ほどと、彼らを車で送り届けるというミッションであった。ああ、天罰なる哉。後藤君と僕は何度か運転を交代しながら、「子供の家」と萱瀬の湯を四度ほど往復した。最初の入浴組が到着した時点で萱瀬の湯の営業時間はとっくに終わっていたのだが、萱瀬の湯のご主人は迷惑そうにも浴場を開けてくださって、僕たちは何とか風呂に入ることができた。
そして、萱瀬の湯から「子供の家」まで戻る「最終便」のときである。僕は風呂から上がって、萱瀬の湯の入り口のところにある喫煙所で木町班の緒方先輩、同じく木町班の浅野君と一緒に世間話をしていた。水を張ったバケツに煙草の灰を落としながらばかばかしい話をいろいろとしていると、我らがレンタカーに乗った後藤君が「子供の家」から戻ってきた。僕らは湯上りでさっぱりとした、しかし煙草の煙もたっぷり浴びた訳の分からぬ身体を車にもぐりこませ、いざ出発。しかし後藤君が車のキーをひねっても、エンジンがかからない。どうしたことだ、僕らは車から出て、代わる代わる運転席を覗いては、いろいろガチャガチャといじくってみたが、やはりエンジンは始動せず、各々、これはまずいことになったとはっきり了解するだけだった。ああ、天罰覿面なる哉。
困り果てた僕たちは、浴場を閉め終わった萱瀬の湯のご主人に、車の件を相談した。ご主人は僕らの車を検分した結果、バッテリーが上がっているとの診断を下し、ボンネットを開け、ご自身の車からケーブルを引っ張って、僕らの車のバッテリーを充電してくださった。営業終了後に押しかけた上、エンストまで起こし、初日の夜からつくづく情けないことであった。この後も、萱瀬の湯のご主人にはいろいろとお世話になることになる。
「子供の家」にたどり着いた頃には、もう0時を回っていたように思う。二つある「子供の家」の大部屋の一方、男子の寝泊りするスペースでは、床一面に布団が敷かれ、スナメリの詩プロジェクトの男衆が眠りについていた。どこを見渡しても人間の頭があった。僕と後藤君は、いびきの音漂うそのむさくるしい部屋に入り込み、わずかに残った狭いスペースにごろり、寝転んだ。しかし五分もすると後藤君はもぞもぞと起きだしてきて、布団を抱えて、外へ出んと網戸を開けた。どうしたんだと僕が訊くと、彼は「耐えられん」と答え、ボクは車で寝るわ、と一人、我らがポンコツ・レンタカーのところまで行ってしまった。さすが、後藤君はホンモノの文明人である。都会のネズミである。翌日の朝7時、僕が車のところに行ってみると、後藤君は運転席の背もたれを倒し、足を伸ばして眠っていた。世の中には環境に左右されない奴もいるのだな、と僕はつくづく思った。一方松本助監督はというと、大部屋の隅の方、それも背の低い長机の下で眠ったそうである。
○8月19日・ロケハン
8月19日はロケハンの日であった。
(続かず)
●最後に
作为留学生,第一次和前辈们合宿、第一次泡温泉、第一次发现原来晚上可以看到这么多星星、太多的第一次在这里发生、如果スマメリ还有下次的企划,希望有更多的留学生能参加。再会!大村。发自我的(李)
●8月28日

バス停で撮影した。
バス停にバスが来たとき、タイミング悪くパンのトラックに邪魔されたりして大変だった。
合間の時間に仲良くなった猫に名前をつけた。パイナップルちゃん。
そしてこの日もカチンコを担当した。叩き方を何回も間違えてみんなを笑わせた。(李)
●8月27日
空港での撮影だったけど、芦澤が熱で倒れてしまったので、録音のペアがいなくなった。なので、録音は助監督の緒方さんにやってもらい、僕はメイキングカメラとカチンコを担当した。
撮影は早く終わったので、協和飯店という中華料理屋さんに行った。僕はダール麺を食べた。(李)

●8月26日
沢での撮影で、滝の前の崖に立って録音マイクを持った。すると、滝つぼに虹が出ていた。光が消えると虹も消えた。危ないところに立っている僕だけが見えた。

撮影の後、芦澤が誕生日だったので、来海班のみんなで子どもにあげるようなオモチャをあげた。僕はお菓子をあげた。そして芦澤誕生日おめでとうございました。(李)
●8月25日
イチガシ天然林でヒロインのはるかとサバゲー青年たちとのシーンの撮影。はるか役の紀澄ちゃんの演技がだんだん緊張感が増して良くなっているのを感じました。
その日の夕飯 題名エジプト。(麻)

●8月24日
撮休。
一緒に録音を担当した李君、カメラ担当の禰津さん、山形役の浅野さんと私の4人で朝からバスに乗りスコーコーヒーパークというところに行きました。そこでコーヒーを飲んだりコーヒーの木を見たりしたあと、長崎市でドラえもんの映画を観ました。李君は爆笑、禰津さんは号泣する間に挟まれ不思議な感じで鑑賞しました。夕方になり帰ろうとしたら黒木行きの終バスがなくなってしまい途方にくれましたが、私のナイスな機転により他のバスに乗り30分歩いてなんとか帰ることが出来ました。(麻)
スコーコーヒーパークの小劇場。

●8月23日
バス待ち。とにかく暑かった。ルポの八木さんとトランシーバーを使ってバスの位置を確認したりして撮影しました。(麻)

その日の夜はイノシシバーベキュー。

●8月22日
セスナを使っての上空撮影
ドクターヘリも着陸してきました。